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| 「場違い」な自分に気がつく
みなさんは「場違い」の自分に気がついて、何か寒いものが背中を走るような経験をしたことがないでしょうか。
数日間の修学旅行に仲間外れになることを恐れて仮病をつかう生徒、聖書を学びたくて教会に出席しても雰囲気になじめないで継続しない人は、きっと少なくないでしょう。 しかし、場違いのきびしい例は、登校拒否や出社拒否となって出てきます。毎日通うべき所が場違いであったらどんなにつらいことでしょう。最近、帰宅恐怖症という病があることを知りましたが、父親が家庭に帰ってくるのが恐ろしくなることだというのです。この病にかかった人は、自分の家に居場所が見つからず、会社に一番遅くまで残ったり、帰宅前に近くの喫茶店で遅くまで時間をつぶしたり、休日でも出社したりして、家にいる時間を極端に減らそうとするのです。 つまり、自分の家や家族が場違いになってしまったのです。「男にとって外には七人の敵がいる」などと言われますが、いこいの場所であるべき家を場違いに感じたら何という悲劇でしょうか。 「的はずれ」な人生とは ここで人間の罪について考えてみたいと思います。罪とは、犯罪、悪い行い、嘘.(うそ)をつく、人を傷つける、など色々恩い浮かびます。しかし、聖書は、根本的な罪は「場違い」のことであると指摘しているのです。 罪とは「的がはずれている」状態を表す言葉です。
聖書はこれらの場違いこそ、罪の姿であると指摘するのです。
神さまとの関係の回復 聖書には、神さまとの関係が的はずれになった人々が回復する実例が多く出てまいります。
そのザアカイの前にイエス・キリストが現れたのです。
「ザアカイ。急いで降りてきなさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから」(新約聖書ルカ19:5)
そして、ザアカイはこの時、赦されたと感じました。それは彼の行った悪事が赦されたというより、彼の存在そのものが赦されたのです。神さまから離れ、根本的に場違いの人間が受け入れられ、あるべき場所に回復されたのです。
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| 罪の赦しを受けた人生
聖書には「贖(あがな)い、すなわち罪の赦しを受けているのです」(エペソ1:7)という言葉があります。
ですから、この救い主であるイエス・キリストを信じ受け入れる時、生まれ変わった新しい人生が始まるのです。
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